活動報告

東北現地訪問(4 月 1 日- 5 日)レポート

情報支援プロボノ・プラットフォームの有志 4 名は、4 月 1 日から 5 日まで、今回被災したいわき市、郡山市、仙台市、気仙沼市、名取市を訪問し、地元関係者の皆さんとの懇談を中心に、被害の状況、皆さんの現状を伺ってきました。以下は、そのまとめです。

(文責:会津泉)

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概略

<参加者>

  • 和田昌樹(桜美林大学)
  • 岸原孝昌(MCF)
  • 松崎太亮(神戸市)
  • 会津泉(多摩大学情報社会学研究所)

<日程・訪問先>

4 月 1 日(金) いわき市 郡山市

午後 いわき市 いわきテレワークセンター(会田社長ほか 2 名)

地震、津波、原発の三重苦に見舞われながら、自己回復力を強調、復興への強い意思が感じられた。

郡山市 地元有志 4 名と懇談

原発事故の放射能被害と風評被害に責められ、困難な対応を強いられている。

4 月 2 日(土) 仙台市

午前 若林区避難所(中学校) 神戸市派遣支援要員高橋氏 NPO 連携宮城復興支援センター船田氏らと懇談。阪神淡路大震災との異同、教訓の検証など。

午後 宮城県・仙台市の行政、NPO 関係者 4 名と懇談

厳しい現実、外部との感覚の違いが指摘された。行政の限界も実感。

夕方 IT 事業者 7 名と懇談(シスコ、ネットワン、ジェットインターネット、ココム、ソフトウェア開発)。Web-EX 経由で一部を東京メンバーと共有。復旧、復興への努力が容易ではないことをあらためて実感。

4 月 3 日(日) 気仙沼市

A 氏(市立病院勤務)の案内で、本吉地区から気仙沼中心部、唐桑町一帯の津波による被災地域を車で回り、被害状況を見る。現場の壮絶な状況の連続にただ絶句、立ち尽くすのみ。3週間経過したとはとても思えないほど深い被害。

昆野氏宅で懇談

4 月 4 日(月) 気仙沼市 仙台市 名取市

気仙沼市 以下の関係者を訪問、懇談

午前 リアス・アーク美術館 教育委員会 白幡教育長・佐藤次長(美術館館長)

被災・被害の深刻な状況、心理的な打撃と、それを乗り越える意思の力を実感。

午後 商工会議所臼井会頭 気仙沼ケーブルネットワーク浜田専務

被害の激しさ。完全流失したCATV復旧はテレビを優先、ネットは不可能と。

夕方 仙台市 天野産業振興課長と懇談

生活復興を支える産業振興の重要性。仙台をマザー都市として広域支援を。

名取市 佐々木一十郎市長 酒井情報システムアドバイザーと懇談

「マニュアルよりポリシー」など、トップのリーダーシップの重要性を改めて認識。

4月5日(火) 仙台市

仙台市、以下の関係者を訪問、懇談

仙台商工会議所 間庭専務理事

宮城県全体の視点からの復旧・復興への意欲が示される。

NPO連携 GANBARO NIYAGI 宮城復興支援センター 船田、茂木、赤木氏

現場ニーズに直結したシステム解決を強く求められる。

総務省東北総合通信局 井澤局長 大蔵部長 栗原部長 本間氏、岡村氏

インターネット接続の被害状況の把握が進んでいないことが理解できた。

河北新報社 相田経営企画室長 佐藤メディア局長

紙メディアの重要性、有効性を再確認。ネットもそれを補完。筆の無力さも。

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感 想

以下は震災発生から 3 週間経過した時点での、一か所あたりきわめて短期間の訪問で、被害の実態を十分に把握できたわけでは毛頭ない。しかし、現地を自分で訪れ、その場に立ち、現地の人々と触れ、話を聞くことで、今回の被害がいかに甚大かつ深刻なことか、テレビ、新聞、ネットを含むすべて「メディア=中間媒体」経由で被災地の外側の私たちに伝えられてきたもので想像し、理解したつもりになることがいかに不十分で危険なことか、自分たちがいかに無力であるかを痛感した。

津波の被災の現場では、言葉が出てこない、声も出ない自分を発見する。そこに向かい合うことができるか、と問われる。今回支援活動をしようと考えている人たちには、現地の人々の感情、事情を尊重しつつ、もし可能であればなるべく早く被災現場を訪れ、風化が進む前に、自分の目と耳で直接何が起きたのかを確かめることを強く薦めたい。もちろん、「行かなければわからない、何もするな」という意味ではない。iSPP として、現地側と連絡をとりつつ、希望者を募り、チーム単位で現地訪問を実施する必要があると考える。

仙台の中心部やいわき市などでは、物理的な被害はさほど目につかず、ライフラインの復旧に伴って状況も平静に戻りつつあるようにみえた。他方、津波の被害に遭った地域でも、遺体の捜索、瓦礫の片付けなどが進展しているところがある反面、気仙沼市中心部のように、ようやく遺体捜索が始まったばかりで、片付作業はまったく手が付けられていないところも多く残っていた。唐桑半島周辺の小規模集落なども同様の状態が続いている。移送先が決められないまま 200 名の患者が孤立している精神科の病院もあった。

こうして、震災発生後 3 週間以上経過したとは思えないほど放置されているところがまだ数多く存在し、混乱状態から脱却できない実態が目についた。復旧・復興に向かう動きはもちろんあるが、そこから取り残されている人々が多数存在していることも事実だ。

阪神・淡路大震災などこれまでの震災と比べて、被害規模・面積が圧倒的に広大で、交通・通信インフラなどが損傷したこともあって、救援・復旧の取組が思うように進んでいない。

今回は遠くから見ただけで訪問できなかったが、陸前高田市のように市の中心部が根こそぎ破壊された地区、あるいは半島部・離島・山間部など市街地から遠くて交通の便が悪く、救援・復旧活動から取り残される地区など、広範な地域に被害は様々な形で展開していることは、他でも指摘されているが、今回の震災の大きな特徴だ。

いわき市では、津波被害を受けた地区で遺体が海上にあるが、原発事故による放射能汚染のため自衛隊員も近寄れず、回収できない状況だった。津波による被災地区も同様に捜索・片付けができないままだという。郡山市でも風評被害が拡大し、地域の産業、人々の生活への打撃は深刻だ。

こうして地震、津波が重なって発生し、被害がきわめて広範な地域に広がり、さらに原発事故が発生し、現在も危機的状況が進行しているという複雑多様な状況にあることは、今後の活動の進め方を考えるうえでも十分に留意することが必要だ。

人々の心は、時が経過して一見落ち着きを取り戻しているようにみえるが、それはあくまで表面上のことで、内面の傷の深さ、衝撃は、外部の人間から想像できないものがある。静かな怒り、諦めのようなものが見受けられ、外の人間との隔たり、違和感は否定しがたく、両者がコミュニケーションを重ねて理解を得ることは、必要だろうが容易ではない。

個々の地域、状況、その人の置かれている立場などで、状況は大きく異なることを、前提としてしっかり踏まえる必要がある。個々人のレベルでの信頼関係が問われる。

救援・支援活動が様々に展開され、ライフラインの復旧、当座の救援物資の送付・配布などは、大きな面からみれば進展していることは間違いない。しかし、上述したように、状況の差は場所、立場などによって大きく異なるため、安易な一般論、平均化は避けなければならない。現地では、目の前の困難を軽減し、課題を解決、乗り越えることで精いっぱいであり、状況を客観的にとらえ、先の状況を計算、計画して進めることに抵抗を覚え、余裕のない状態の人も少なくないことは銘記すべきだろう。

マスメディアでは、伝えられる内容に限界があり、どうしても一定の枠組み、ストーリーに沿った報道がなされる。現実はそうした枠をはるかに超えるものがあり、実際にはその枠からこぼれたものが存在しているということを痛感させられた。

それを確認した上で、被害の原因軸(地震、津波、原発汚染、風評被害)、地域の軸、時間(推移)の軸を決めて、個々の状況をマトリックスにまとめ、今後の活動の具体的な方向性、展開と照応させ、自分たちがどの課題に取り組んでいるかを明確に認識しながら進めることが重要と思われる。これについては、別紙に試案をまとめてみた。

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<情報ギャップ>について

全体として、様々な形で、被災地と外部の間に、様々なレベル、分野で「情報のギャップ」が発生し、それが救援、支援、回復活動を困難なものとしている。iSPP は情報ギャップの解消を目指して集まったもので、その実態の検証は重要と考えている。

情報ギャップは、救援活動のロジスティクスの妨げとなる。同時に、意識や認識のギャップ、理解のギャップを生む。被災地の「中」の人たちが直接経験してきた状況を、経験、意識、認識の格差をもつ「外」の我々が十分に理解するためには、単なる「事実」を知るだけでなく、想像力を働かせることが求められる。それがもっとも難しいことかもしれないと痛感した。

以下、一般状況ではなく、iSPP の取組対象である<情報ギャップ>を中心に報告する。

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初期状態 情報通信へのアクセスはすべて不可能に

初期、東北に大半の被災地では、固定、携帯電話、ネットのすべてがアクセス不可能となり、まったく役立たなかった。停電のためにテレビの受信もできず、わずかにラジオが頼りという状態が続いた。

この状態は、仙台など都市部でも数日からそれ以上続き、復旧作業が進展してきた現在でも、場所によっては通信手段にアクセスできない状態が続いている。設備が打撃を受けなくても通話の殺到と発信規制により、輻輳状態は容易には改善しない。外部の人間は、これらの事実とそれに伴う人々の実感、怒りを謙虚に受入れることが求められる。

津波で壊滅的な被害を受けた地区では、通信回線やセンター設備そのものが流失し、役場などの基幹機能も喪失したために、被害情報そのものが発信できず、救援活動の遅れを生んだ。ヘリコプターによる救援も翌日以降が多かったが、衛星携帯電話などの通信手段を即日投下できれば、状況の把握もより迅速にできたのではないかと思われる。

被害直後から携帯がまったく通じないのに、「171」などの安否情報の入力・確認が呼びかけられ、繰り返し試み、結果として携帯の電池が切れ、停電が続いて充電もできず、より苦境に陥ったという怒りの指摘もある。しかし、テレビではいまも「171」の CM が続けられ、あたかもそれで解決できるような情報が流されていることへの苛立ちは強い。

携帯での掲示板機能などを含めて、登録件数だけでなく、時間と地域を軸として、これらの災害対応サービスが本当に役だったのか、どこでどう役立ったのか、どう役立たなかったのかを、住民、被災者、利用者側の立場からみて客観的、実証的に検証、解析することが必要だ。

これを書いている 4 月 7 日夜に発生した大きな「余震」により、東北全域に停電が続き、再び通信の途絶状態が起きている。

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インターネットアクセスについて

当初自治体の多くは、電気もガソリンも食糧も寝具もないなかで、インターネットやパソコンは不要ないし優先度が低いとして、NTT からの避難所などへのアクセス環境提供の申し出を断ったところが少なくなかったという。NTT 側も、基本的には自治体の要請があれば緊急対応するが、なければしないという方針だった。しかし、双方ともそれで良いのか疑問は残る。本来もっとも必要な主体であるはずの住民の、情報へのアクセス・発信手段が閉ざされるからである。

自治体の防災担当者は、救命、救援、電気水道ガス道路などの物理的なインフラ、ライフラインの復旧・対応に追われ、通信手段のなかでも即時性が低く、メリットが限られるとみられるインターネットの優先順位を低くとらえがちだ。無理もない。火事場の騒ぎが続く時に、一般的にインターネットが必要かと聞かれれば、不要と答えるだろう。

しかし、たとえば名取市では、市長の指示で、多数の避難所にインターネット環境の整備が実現された。市長自身がパソコン通信時代からのネット利用者で、利用者側のニーズを本人自身がよく理解していたからできたことだろう。避難所には一般住民に加えて、市の担当職員、他県などからの応援者、ボランティア支援者などもおり、一般住民ではなく、救援・支援活動を担う人たちにとって、ネットで情報発信、共有、検索でき、相互連絡がとれることはきわめて有用で、支援活動の有効な推進をもたらすことは明らかだった。

時間が経過するにつれて、被災者側でもネットを利用して情報にアクセスし、メールで連絡をとるなどのニーズが出始めている。これに並行するように、NTT や「IT支援隊」など、パソコンとネット環境の整備をボランティアで進める動きも伝えられている。IPSTAR は携帯電話会社と組み、鉄塔にサテライトのアンテナを設置してネット接続を実現させている。

日本インターネットプロバイダー協会(JAIPA)が JSAT と協力して、衛星通信によるブロードバンドと無線LANの組合せで提供する動きもある。ただし、全体としてみれば、これらはそれぞれ局所的な取り組みであって、異なる取り組みの間で連携を図る動きはみられず、面的な展開になっているわけではないようだ。

総務省も「通信回線」の被害状況は震災直後からとりまとめを行っているが、「インターネット接続」についての被害状況は把握していない。県でのとりまとめもなされてない模様だ。事業者側は、個別にはデータを把握しているはずだが、それが行政に報告されたり、互いに共有されている状況でもない。

インターネットが災害時の救援活動、復旧活動に有効な通信手段だという認識が防災関係者の間に存在していれば、今回よりずっと早く、インターネット接続の回復、臨時対応などの手段が講じられたはずである。残念ながら、そうした認識は十分にはなかった。

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壊滅したサービスの回復

気仙沼では、CATV 基地局の建物が、津波で完全に壊滅・流失し、残った同軸ケーブルに仮設アンテナでテレビ放送を受信する応急措置は続いているが、インターネットの接続サービスを復旧させることは、CATV 会社としては不可能だという。今後はテレビのサービスだけを考え、ネットは行政あるいは NTT に丸ごとまかせたいという。たとえ資金を提供されても、人材がいないので断るというのだ。

津波で壊滅的な打撃を受けた地区では、気仙沼同様、中長期的にもインターネット接続サービスの復旧は望めないところも少なくないと思われるが、現時点では実態は掴めてない。事業者の復旧能力にも限界があり、これらの地区では、ただでさえ「被災弱者」である人々が、情報格差による「情報弱者」となり、苦痛が増す結果となる。

事業者の多大な尽力により、通信回線の復旧は順次進展しているが、末端の利用者は進捗状況まで把握しているわけではない。現在自分の生活しているところにネットがいつ来るか、気になっているが、その情報がないことに苛立ちをもつ利用者も少なくない。住宅の移転なども含めて不確定要因が多く、不安も募る。

どこをどう回復させるかという点では、個々の事業者に委ねるだけでなく、全体を見渡して事業者同士の調整、戦略的視点での対応が必要と思われる。総務省がその機能を果たすものと期待していたが、必ずしもそうではなかった。こういうときこそ、国が自治体とともにリーダーシップを発揮して、平成 22 年度実現をめざした「デジタルデバイド解消」を、戦略%